2011年8月15日月曜日

本「大東京ぐるぐる自転車」【11年28冊目】

著者 : 伊藤礼
東海教育研究所
発売日 : 2011-04-01
<本の紹介>
喜寿でもハシル自転車。マウンテンバイク、折りたたみ自転車、買い物自転車、7台の自転車総動員。「銀輪の翁」伊藤礼老の大東京巡察記。世相、民情、歴史に目を光らせて今日もハシル痛快・極上のユーモア自転車エッセイ。

<メモ>

  • 自転車は自由気ままに細い道、一方通行路、階段、山道、砂浜、どこへでも進み、止まることができる。家の中に持ち込むことさえできる。そこが図体の大きい自転車と違う。二本の足で歩いている人より速く移動できるし、荷物も運んでくれる。
  • 映画「大脱走」でスティーブン・マックイーンはオートバイで逃げる。ジェイムズ・コバーンは自転車で逃げる。逃げおおせたのはコバーンである。そんなことも自転車の優位性を思わせる。
  • 後楽園の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」という精神。
  • 植物園は広大だった。小石川後楽園の場合もそうだったが、こういう広大な施設では中心部に向かって歩を進める最初に、一瞬であるが、右に行くべきか左に行くべきか心に迷いが生じる。そのときわれわれは気づくのである。その迷いに対応するかのごとくたいてい「順路」と書いた札が立っているのである。だが、わたくしは順路という札を好まない。いんちき宗教のように、こちらの心の迷いにつけこんでくるからである。親切顔をしているからである。親切顔をしながら指図しているからである。信用せよと言わんばかりの顔つきをしているからである。皆さんはたいていこの指示に従っていますよ、と言わんばかりの顔をしているからである。相手が考えるべきことにまで踏み込んでいるからである。
  • つじつまを合わせるというのが人生の目的ではないのである。サイクリングにだって、なにか人間の精神を高揚させるような要素があってもいい。ここが問題なのだ。
  • 町田市を含む昔の南多摩郡という地域は、明治政府の初期、強烈な自由民権運動があった場所だった。ここを訪れることはそのまま明治時代のこの地の青年たちの精神性に触れることになる。その青年たちの中には「楚囚之詩」の北村透谷もふくまれる。北村透谷は強烈な精神性の持ち主で、ついに耐えきれず25歳で命を絶ったぐらいだ。なんということだ。
  • 当地は、鶴見川の最源流部・町田市上小山田田中谷戸に位置し、一日約1300トンの地下水を湧出する「鶴見川源流の泉」です。この安定した清流は、源流の生き物たちの賑わいを支え、水田の用水としても大切に利用されつつ、中、下流の街にむけて、多摩丘陵をかけおります。
  • 二百、三百と数えながらこいでいるうちに、ぼーっとなって、いくつまで数えたか分からなくなり、また一から数え始める。それを繰り返しているうちに頭が完全に空っぽになる。これをかれは「馬鹿になることによる神化」と言っている。このあたりの理屈は精密である。

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